すあげのしせきログ

文化、博物館を嗜みます。

いや、でも、だって

 

 

唐突だが、私は人の気持ちを慮ることが得意ではない。

 

 

それゆえに、相手を不快にさせた経験から、深い人間関係から避け、当たり障りのない関係の中で生きてきたように思う。(実家を出ていく際、これを親に伝えたところ、怒りもせず悲しみもせず「そっか。」と送り出してくれる優しい家庭なのだろう)

 

 

 

 

最近とある動画を見た。その動画の中では、以下の文章がテーマとなって語られていた。

 

『ネガティブであるということは、人に迷惑をかけている』

 

実に思慮深い結論だと感じた。

 

日本においては、謙遜することが美徳として語られることが多い。しかし、「謙遜すること」と「ネガティブであること」は明確に違う。

 

何が違うのかというと、『今、目の前にいる相手の話を聞くか、聞かないか。』この一点のみだと私は思う。

 

ネガティブである場合は、「自分に自信がない」と言いながらも、相手がアドバイスや意見を言うと「いや、、、」と反論する。

 

 

 

この明確な矛盾に気付いている人がどれだけいるだろうか。

 

この接頭語、「いや」が、これまでの会話を全部無視し、自分よりはるかに優れているはずの他人の言葉をことごとく跳ね返し、相手にと対して『無駄な時間だったな』と思わせてしまっている。

 

私もこれまでを振り返ってみると、自分が相手に対してそのような態度を多かれ少なかれとっているし、相手からそのような印象を受けたこともある。

 

そのような印象を与えるのはまわりまわって何度でも自身に返ってくる。

なので、明日からネガティブな接頭語「いや、でも、だって」を使わないことにした。

まずは一週間からはじめよう。

 

 

 

新海誠最新作『すずめの戸締まり』に見る景観とアイデンティティの話

※ネタバレ記事ではありません(多分)

 

 

先日公開された『君の名は。』『天気の子』で知られる新海誠監督最新作『すずめの戸締まり』。

予告PVを見てときめいてしまったわたしは、仕事終わりに映画館へ直行。

早速見てきました。

 

物語のあらすじを公式サイトより引用

 

九州の静かな町で暮らす17歳の少女・鈴芽(すずめ)は、「扉を探してるんだ」という旅の青年・草太に出会う。

 

彼の後を追って迷い込んだ山中の廃墟で見つけたのは、ぽつんとたたずむ古ぼけた扉。

なにかに引き寄せられるように、すずめは扉に手を伸ばすが…。

扉の向こう側からは災いが訪れてしまうため、草太は扉を閉めて鍵をかける“閉じ師”として旅を続けているという。

 

すると、二人の前に突如、謎の猫・ダイジンが現れる。

「すずめ すき」「おまえは じゃま」ダイジンがしゃべり出した次の瞬間、草太はなんと、椅子に姿を変えられてしまう―!

 

それはすずめが幼い頃に使っていた、脚が1本欠けた小さな椅子。

逃げるダイジンを捕まえようと3本脚の椅子の姿で走り出した草太を、すずめは慌てて追いかける。

 

やがて、日本各地で次々に開き始める扉。

不思議な扉と小さな猫に導かれ、九州、四国、関西、そして東京と、日本列島を巻き込んでいくすずめの”戸締まりの旅”。

 

結論から言うと、今回は新海監督作品の中でトップレベルに好みの作品でした...!

個性的なキャラクターと独特な世界観で紡がれるストーリー。

新海監督作品では毎度のことながら、鳥肌が立つほどの映像美。

 

扉からもたらされる災いを「閉じる」シーンは心の奥底にしまっていた中二心を抉られます。

主人公のすずめと椅子にされてしまった青年・草太がどのような結末を迎えることになるのかは、劇場でのお楽しみということで。

 

今作では、重要な舞台装置として、『廃墟』が取り扱われる。

廃墟にある扉の中からは『災い』が訪れ、人々の生活を脅かし、それらの被害を未然に防ぐために扉を閉める閉じ師たち。

 

登場する廃墟に、モデルがあるかどうかは定かでありませんが、日本各地の廃墟が登場する。

それらの廃墟は、人々の住む町からそう遠く離れているわけではないものの、ある意味では別世界。何気なく生きている日常の裏側かのような描かれ方をしている。

 

ふと我に返ってみると、やはり自分の周囲にもそのような場所があり、「かつてあったかもしれない景色」、「いまは見る影もなく廃れてしまった景色」が確実に存在している。

 

「景観をアイデンティティに!」、ということが叫ばれて、いくばくかの時間が経った。

この考え方のもと作られた、平成20年に公布・施行された歴史まちづくり法というものがある。

 

歴史や伝統を反映した活動とそれが行われる建造物や市街地が一体となって形成している市街地環境(歴史的風致)の維持向上を図る

 

古き良き歴史的町並みや、美しい伝統的な建造物など日本の伝統文化の側面が注目されてきた。

 

 

なぜこの映画でこの話題か?と思う方もいるでしょう。

アイデンティティとなる景観とは、もっと広く、多様で、パーソナライズされてるとこの映画を見て再認識させられたからである。

 

 

初めて行ったよみうりランドの観覧車から見た景色。

2番目の彼女と公園のブランコから見た景色。

青春時代の汗と涙が詰まった校舎。

初めて煙草を吸った喫煙所。

 

どれもこれまでの自分を形作ってる「景色」

 

人々が歩んできた足跡はそれぞれで、『廃墟』には、今はもういないかもしれない、たくさんの人々の思い出が、想いが詰まっている。

 

その景観は、その地域に生きる人たちにとってアイデンティティとなるはず。

少子化や地域コミュニティを継続するための体力不足、度重なる災害によって、その姿を維持できなくなっている。もしくは、もうすでに破壊が始まっている。

 

何を残して、何をなくすのか。

日本列島は、そのような岐路に立たされている。

そんなメッセージが込められているように感じた。

 

こんな話を聞いたことがある。

東日本大震災における津波で、とある町が被災してしまった。

その復興事業の中で、町中にあった古い建物をあえて復元した。

というのも、『被災して離れてしまった町の人々が戻ってきたとき、「ああ、ここにこんな建物があったなあ」と思い出してほしい。そのために復元した』と。

 

今日も、日本中で、より素敵な選択がとられることを祈るばかりです。

 

今さらながら『ラブライブ!サンシャイン!!』に嵌った話

いま令和だぞ?

 

2010年台に一世を風靡したアニメ、『ラブライブ!』シリーズを聞いたことない人を探すほうが難しいだろう。

 

思い返せば、紅白歌合戦

当時学生だったわたしは、お茶の間で冷ややかな視線を向けていたそのアイドルに、今ときめいている。

 

ラブライブ!』シリーズの第2弾として製作された『ラブライブ!サンシャイン!!』

 

静岡県沼津市を舞台に、『輝き』を追い続ける9人の少女たちを描いた作品だ。

 

物語の冒頭は次のように始まる。

 

「普通な私の日常に、突然訪れた、奇跡____。」

「何かに夢中になりたくて、何かに全力になりたくて。」

「でも、何をやっていいかわからなくて。燻っていた私のすべてを吹き飛ばし舞い降りた。」

 

そう、舞い降りたのは『スクールアイドル』。

東京・秋葉原で偶然目にした一枚のチラシ。そこに描かれていたアイドル衣装に身を包んだ少女たちに主人公の高海千歌は心を奪われることで物語は始まる。

やがて彼女は仲間を集め、互いに切磋琢磨し、衝突しながらも同じ方向を見つめ進んでいく。

 

意外かもしれないが、彼女たちの航路は生易しいものではなかった。

失敗や挫折を繰り返し、後悔しながらも一歩一歩前進していく。そんな彼女たちの姿に見ているわたしたちも勇気づけられる。

 

 

冒頭の台詞にあった通り、主人公は一貫して『普通』であることにコンプレックスを抱く少女だ。

『特別な何か』になりたくて。何かを残したくて。でもそれが何かわからない。

『輝きたい』。でもどうしたらいいかわからない。

 

自分は周りと違う特別な何か。人気者を照らすスポットライトではなく、スポットライトを浴びる自分になりたいと思っていたあの頃。

そんな懐かしい感情を揺さぶられる作品であった。

 

わたしが大好きな楽曲に『WATER BLUE NEW WORLD』がある。

この曲を披露したのは全国大会の決勝。

ここ一番で披露したこの楽曲は、彼女たちのこれまでの軌跡や重ねてきた想いそのすべてが詰まっていた。

 

新しい場所 探す時が来たよ

次の輝きへと海を渡ろう

夢が見たい想いは いつでも僕たちを

繋いでくれるから 笑っていこう

 

彼女たちは最終回で自分たちの『輝き』を手に入れる。

正確には手に入れるのではなく、すでに手にしていたと気づく。

 

自分の夢や目標に向かって、夢中になって努力する。気が付いたら、辿り着けないステージへと来ている。

その愛おしい日々と、だからこその『イマ』。それが彼女たちの『輝き』であった。

 

 

これまでの輝かしい思い出や痛み、そのすべてを抱えながら、次の輝きへと航海を続けていく。

これは視野も懐も狭くなってしまった現代社会を渡るための道標なのではないだろうか。

忘れたくないほど幸せな時間も、日々何となく過ぎていく時間も、苦い過去も、それらすべてがイマの自分を形作る。それは誰にも否定できない自分だけの『輝き』。

 

ひとりひとり違う『輝き』。それはみんなが持っている。

 

否定されるかもしれない。興味をもってくれることさえないかもしれない。でも、『輝き』を知り合うことで、人間関係は始まっていく。

だから、どうか、自分で自分の『輝き』を否定しないで。

 

なら、その勇気はどこに?君の胸に!

 

 

 

 

 

 

 

 

才能とは、他者を自己の中へ吸収して、包含することである

「ないものねだり」をする大人を見ると腹立たしくなる。

 

小さい頃は、自分や自身の回りにはありとあらゆる可能性を秘めていて、未来は希望に満ち溢れていた。

でも、私たちはある時気付く。世界がそういう風には出来ていないということを。

 

 

自分にはあると思っていた才能は、他の人にもあり、またはもっと才能のある人が五万といることに強制的に気付かされる。正直に言うとクソゲーだ。

 

たいていの人は諦めたり、適当な理由で納得したりすることで折り合いを付けている。中には、自分は無能ではない。それには「特別な理由」があるからだと、「俺はまだ本気出してねえから!」と、本気で主張する人もいる。本当に世の中、世知辛い。

 

 

かくいう私も、学生時代憧れ、希望した業界へ進むことはできたものの、当時のビジョンの甘さ、現実の課題に頭を抱えながらも、まだ諦めたくないと足掻いている惨めな大人へ、いつの間にかなってしまった。

 

だからこそ、「ないものねだり」で夢を語る大人が腹立たしい。

この感情は嫉妬であり、単に「あなたには私の苦悩が分からないでしょうね」という承認欲求でもある。

 

都合の良い時だけ声をかけ、都合の悪い時には誘わない友人。SNSを通じて、自分が選ばれなかったことに気付き、相手がそういう人であるとうっすら気付いてしまう。そんな日常にごくありふれたシーンでも、着実に擦り減るものがある。



「そこにない」ことは事実である。事実それ自体は変えられない。
その受け取り方は変えられることを胸に刻んで生きてきたからこそ、大きな声でないものをねだる大人を見ると腹立たしくなるのだ。


最近、とある画家の展覧会を観覧した。
渋谷区立松濤美術館で開催中の『津田青楓 図案と、時代と、』である。

 

津田青楓という画家は、正直に言うとマイナーである。最近まで、美術愛好家でも知っている人はほとんど居なかった。

 

1880(明治13)年、京都で華道一門の次男として生まれ、10代から図案家、デザイナーとして活躍した『才能』のある人だ。

20代では、兵役の後、フランスへ国費留学をして、図案だけでなく、洋画や刺繍といったマルチな才能を開花させた。

 

30代以降は、自身で設立した図案制作会社にて封筒や、便箋、巻きタバコ入れなど日常生活の中にアートを取り入れた商品、東京、名古屋、京都で画塾を開き、事業家として生計を立てていた。かなりのやり手である。

 

しかし、順風満帆のように見えた彼の人生も、京都帝国大学河上肇との出会いによって一変する。

共産主義の活動に関与したとして任意同行の後、釈放。この事件をきっかけに、塾の解散し、洋画を諦め、日本画へ転向することを表明。

以降、各地を旅しながら多くの作品を残し、1978(昭和53)年没した。亡くなる4年前には、兼ねてから親交のあった山梨県一宮町(現笛吹市)の小池氏が私財を投じて、青楓美術館を設立した。

 

彼の人生を振り返って見ると、図案に始まり、洋画、デザイン、刺繍、日本画etc...とマルチな才能を発揮したと言っても過言ではない。

 

今回の展覧会では、彼の図案集や装幀を担当した典籍がほとんどを占めていた。『赤い鳥』で有名な鈴木三重吉や、高濱虚子の挿絵、夏目漱石の典籍など。

 

美術館ではたいてい、これらの作品ともに作品の解説をするキャプションが備え付けられている。

わたしは普段、そういった会場では気に入った作品だけキャプションをじっくり読むのだが、ここで驚かされたことがある。

 

どの作品を読んでも、背景として、多くの人が関わっている。ひとつ新しいことを始めるにも数多くの師、同志と心を交わし、彼の作品へと落とし込まれている。つまり、彼の作品には、「彼以外の誰か」が溶け込んでいる。

 

お湯を入れて3分のカップ麺よりも、鶏ガラをじっくり煮込んだスープを選ぶように。

マグネシウム合金板塗装の看板よりも、陶器製看板の方が劣化しないように。

 

彼の作品には、血の通った人間から受け取ったものたちを、彼という視点で落とし込んでいる。

 

そこから生み出される「美しさ」が評価され、その「美しさ」は表面的な美しさではなく、彼の「才能」により生み出されているのだ、と感銘を受けた。

 

 

『ないもの』としてねだっているものは『即席の才能』である。しかし、この世にそんなものを出せるのはドラえもんくらいしかいないだろう。

『才能』とは『他者を吸収し、自分の中に同居させる』営みによって蓄積された経験であり、私たちの目の前に見えているほんのわずか表面に過ぎないのだ。

そんな当たり前のことであっても、理解することは実に難しい。

 

必ずしも正しく評価されるとは限らないこの世の中で、ほんのわずかな希望でも信じて生きてみたい、そんな風に思えるような1日も悪くない。

 

2022.6.22

素揚

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富士山の麓で推しの子として転生した話

こんにちは。

少し前になりますが、山梨県富士河口湖町で『胎内めぐり』をしてきました。

 

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場所はこちら。

 

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もっとkwsk

 

 

初めに触れませんでしたが、聞き慣れない言葉ですよね。胎内めぐり。胎内?子○か?

 

ワタシが行ったのは、正式名称を山梨県富士河口湖町『船津胎内樹型』(国指定天然記念物!です!)といい、富士山噴火による溶岩流の際、樹木を取り込んで固体化し、燃え尽きた幹の跡が空洞となって露出した洞窟のことを言います。

古くから富士山は信仰の対象として成立し、江戸時代には『富士講』として、人々が次々と富士山巡礼の旅へ向かいました。

 

その中で、この洞窟は『え?これ中ヒトの内臓に似てない?もしかして...ママ....?』という着想のもと、洞窟内部を人体に見立て、内部を一周し、地上に戻ることで『生まれ変わり』を体験できるのでは.............?という信仰が生まれました。正直キモい。

 

富士講のため訪れた巡礼者たちは、登山前日に『胎内めぐり』を行い、身を清めてから登拝するというのが通例になりました。

 

 

 

というわけで、

うんうん、じゃあ富士山じゃなくて、『推し』の胎内と考えたら、゛゛゛推しの子゛゛゛として、゛゛゛誰でも゛゛゛生まれ変われる...ってコト?!?!?!?!!

と思い、行ってきました☆

 

 

 

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......微グロ?

洞窟には、敷地内の河口湖フィールドセンターで拝観料を支払い、入口でヘルメットを装着してから出発しましょう。(作法がわからなくてウロウロしました)

 

ヘルメットを付けたら、無戸室浅間神社へお参りをして、出発!

 

洞窟入口は狭く、天井に気をつけながら進みます。

 

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すぐに肋骨ゾーン(?)に入り、人体というよりヘビみたいなクリーチャーの内臓感が強く、不気味でした...。

でもこれは推しの子になるためだから...。

 

少々進むと分岐があります。

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段差キッツ!

ガッチリしたワタシの体格では、既に膝をつきながら進んでいますが、実際行く際は汚れても良い服装でね。

 

 

分岐の先ではなんと、

 

母の胎内。

父の胎内。

 

父の胎内。

 

父。

父。

 

 

パパ............?

 

 

 

は?

ママにパパは居ないんだが.............?

 

 

道半ばにしてこの煩悩は置いておいて、母の胎内へ向かおうとしたのですが、、、

 

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狭すぎるて〜〜!!!!

デカめかつ柔軟性に乏しいわたしは天井にガツガツ頭を当てながらも無事に母の胎内へ...。

 

終始こんなテンションで、童心に帰り、洞窟探検をする20代男性の姿が、確かにここにはありました。

 

胎内樹型を一周し、無事に推しの子として新たに生を受け、生まれたての綺麗なワタシへと転生いたしました。

洞窟内部は15℃前後とひんやりしており、夏季でも過ごしやすく楽しめるアクティビティではないかと思います。

今回は行けませんでしたが、この近くにもう一つ同様な樹型があるみたいです。

 

(ワタシの行った時期では)空いており、富士山周辺で手軽に楽しめるアクティビティをお求めの方、富士北麓で時間が空いてしまった方、†推しの子(概念)†としてこの世に生まれ落ちたい方etc...、是非訪れてみてはいかがでしょうか?

 

ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

では。

発掘された日本列島2020

こんばんは。

先日、江戸東京博物館で現在開催されている「発掘された日本列島2020」(通称:列島展)を観に行きました。

 

この展示は平成7年に始まって以来、毎年行われていて、前年度に行われた発掘調査の中から特筆すべき成果が一同に展示されています。

この展示を見に行くのも4回目で、初めて行ったのは考古学専攻に入りたてだったあの頃...。というのは置いておいて、卒業論文を考古学で書き、大学時代を発掘調査に捧げた(嘘)私からみた見所を残しておきます。

 

その1『日本列島の旧石器』

1発目から完全に趣味です。中盤くらいに出てくる展示なんですが、北は北海道、南は鹿児島まで代表的な旧石器時代の石器を紹介してます。

 

あれ?沖縄は?と思われた方、勘が良いですね。沖縄にも旧石器時代遺跡はあります。サキタリ洞という洞窟遺跡をご存じでしょうか。沖縄県南城市にある洞窟遺跡でここからはなんと人骨が出土します。ですが、彼らの道具はまとまって出土しないため、生活の実態は未だ明らかになっていません。一説によると骨で釣り針のような物を使って魚を釣っていたのだとか...。

ちなみに、サキタリ洞は「ケイブ・カフェ」という観光施設として営業しているので誰でも入れます。いつか行きたいなあ。

 

脱線はこれくらいにして、この展示の見どころ紹介です。

この展示で注目していただきたいのはズバリ「石器に使用された石材」です。

この時代の人類が生き残るためには「道具」が必要でした。現代のように、プラスチックや金属など、ある程度自由に利用できる素材は当然ありません。そのような状況の中で人類は周囲にあふれていた「石」に注目しました。

日本列島は言わずもがな無数の岩石の集合体です。しかし、周囲に散らばっている「石」の様相は日本各地で異なります。ある場所では、黒く輝くガラスの様な「石」、また別の地点では独特の割れ方をする灰色の「石」が落ちています。当時の人類は、その場その場に落ちて、あるいは剥き出しになっている「石」を道具として選択しました。

今回の展示では、日本の旧石器時代遺跡で使用される代表的な石材を一度に観ることができ、さらにその石材の特性に合わせた剥離技術が用いられるという旧石器人の技術力の高さを実物資料をもって感じる事が出来ます。中でも、黒曜石の一大産地である白滝で営まれた白滝遺跡群の石器接合資料は、大きな母岩の加工過程が明瞭に見て取れる貴重な資料です!(出土した状態からここまで復元した作業員さん技術力もあっぱれモノです)

 

その2「縄文アスファルト

 「縄文時代アスファルト?」と疑問に思う方も多いかと思われます。なんせ高校日本史の教科書の端にちょこっと載っているくらいですから...。

アスファルト」と聞くと道路の舗装に用いられているあの暗灰色~黒色の素材を思い出す方が多いのではないでしょうか。あのアスファルトと使用される物質自体は同じです。(違いは純度です)

アスファルトとは「原油に含まれる炭化水素類に中で最も重質な物である」(ウィキペディアから引用)とあるように、原油が産出される地点で天然のアスファルトが産出されます。日本の油田は秋田県新潟県など、日本海側を中心に分布していますよね。そういった原油産出地点に近い遺跡では、石鏃や土器にアスファルトが付着した状態で出土する事があります。

今回特集されている岩船渡遺跡も新潟県の遺跡。原油の産出地点に近い事からも、様々な用途でアスファルトが利用されています。特にアスファルトのパレットとして紹介されている土製品なんかは、恒常的にアスファルトを利用してた証拠ですよね。

また、他の出土品の中に、関東系の石材で製作された石棒が混じっています。このことからもアスファルトに利用は産地付近だけでなく広域に広がっていた事が予想されます。事実、奥羽山脈を越えた太平洋側の縄文遺跡においてもアスファルトの付着が確認されています。この展示をみて縄文時代の意外な一面に触れるきっかけになればなと思います。

 

その3「玉づくり製作工房跡」

こういうのが一番好きなんですよね。石川県小松市八日市地方(ようかいちじかた)遺跡から出土した碧玉製ビーズが展示されていました。ただビーズを繋げたネックレスのようなものは何度か見たことがあるのですが、この遺跡では、碧玉の原石、荒割りされた後のもの、擦り切りが行われている最中で捨てられているもの、台石に擦り付けられているもの、完成品など生産工程が見て取れる様な碧玉が出土します。また、擦り付けられたと思われる台石は、表面が波状になっており、細長い碧玉の棒を一生懸命擦って磨いた事が分かります。

なぜこのような状態で土の中に埋没する事になったのでしょうか。災害や争い、疫病などその場に道具を置いてその土地を離れなければならなかった理由を考えるというのも考古学の楽しみ方のひとつだと私は考えます。

 

以上、私から見た「発掘された日本列島2020」の感想でした。

最近はコロナの感染者数も増えて更なる警戒が必要になってきます。展覧自体はまだ開催されますが、見学を検討している方は十分気をつけてください。

本展示は、図録だけでも相当魅力的な物に仕上がっていますので(というか毎年出来が良い)、ステイホームで図録を眺めるという楽しみ方も出来ると思います。

購入はこちら。

 

おしまい。