いや、でも、だって
唐突だが、私は人の気持ちを慮ることが得意ではない。
それゆえに、相手を不快にさせた経験から、深い人間関係から避け、当たり障りのない関係の中で生きてきたように思う。(実家を出ていく際、これを親に伝えたところ、怒りもせず悲しみもせず「そっか。」と送り出してくれる優しい家庭なのだろう)
最近とある動画を見た。その動画の中では、以下の文章がテーマとなって語られていた。
『ネガティブであるということは、人に迷惑をかけている』
実に思慮深い結論だと感じた。
日本においては、謙遜することが美徳として語られることが多い。しかし、「謙遜すること」と「ネガティブであること」は明確に違う。
何が違うのかというと、『今、目の前にいる相手の話を聞くか、聞かないか。』この一点のみだと私は思う。
ネガティブである場合は、「自分に自信がない…」と言いながらも、相手がアドバイスや意見を言うと「いや、、、」と反論する。
この明確な矛盾に気付いている人がどれだけいるだろうか。
この接頭語、「いや」が、これまでの会話を全部無視し、自分よりはるかに優れているはずの他人の言葉をことごとく跳ね返し、相手にと対して『無駄な時間だったな…』と思わせてしまっている。
私もこれまでを振り返ってみると、自分が相手に対してそのような態度を多かれ少なかれとっているし、相手からそのような印象を受けたこともある。
そのような印象を与えるのはまわりまわって何度でも自身に返ってくる。
なので、明日からネガティブな接頭語「いや、でも、だって」を使わないことにした。
まずは一週間からはじめよう。